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はじめに

 このホームページは萬古焼についてあまりにも事実でないことが広く拡散して通説となってしまっている状況を何とかしたいとの思いから始めました。

 まず萬古焼を語る際に必ず書かれている「萬古」「萬古不易[ばんこふえき]の名は「何時の世までも栄える優れた焼き物という意味」とか「その作品が変わらずに永遠に残っていくようにとの意味から」という、どこで誰が言い始めたかわからない由来がそのまま、なんの検証もなしにコピー&ペーストされています。

 このサイトでは本当の萬古焼の姿を少しでも明らかにできたらと思っています。

まず萬古の称についての一考察

①弄山の出た沼波家は一族で有名な先祖の顕彰のため号に「古」を付ける慣習があった

   *関ヶ原の戦いで活躍した美濃大垣の沼波玄古秀實

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②近世初期氏家家の転封に合せて美濃大垣の沼波本家から分流し伊勢桑名の沼波家が成立

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③沼波五左衛門重長の号は「弄山」となっているが作陶のブランド名を「萬古」とし押印

   *尾形権平深省が「乾山」と押印し、そのやきものを乾山焼というのと同様

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④萬古焼が有名になって江戸に進出

   *有名になったため屋号を萬古屋・萬古堂にした?

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⑤弄山死後弄山の意思(萬古焼)がいつまでも変わらず続くようにとの思いから安達新兵衛らが特別な作品に萬古不易印を捺した

   *古萬古の萬古不易印はあまりない(萬古不易押印作品はほぼ有節萬古以降)

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⑥有節が自ら再興した萬古焼のキャッチコピーとして「萬古不易」を多用した

    *特に千秋が不易萬古と名乗ったという説もある(有節は有節萬古)

 萬古焼の「萬古」は、

 仁清や乾山と同様、沼波弄山が焼いたやきもののブランド名である。

 引用する場合は直接ご自身で当サイトCONTACTにアクセスしてください。

 当サイトのテキスト・画像の無断転載・複製を固く禁じます。

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参考文献

森田九右衛門日記/新編武蔵風土記稿/射和萬古由緒書/本朝陶器攷證/

観古図説/英国ドクトルドレッセル同行報告書/近聞雑録/藤渠漫筆/

日本陶器目録/陶器考/日本陶工伝/鑑定備考日本陶器全集/日本近世窯業史/

彩壺会講演録 弄山萬古/日本陶瓷史/美術工芸二六「伊勢の萬古」/

原色陶器大辞典/萬古 陶芸と歴史と技法/四日市萬古焼史/

日本やきもの集成[新装版]/乾山焼入門/

国立歴史民俗博物館研究報告二〇〇一国産祈年銘土器・陶磁器データ集成

「岡田文化財団所蔵萬古コレクション」岡田文化財団二〇〇四

「よみがえる萬古不易−有節の桜色と萬古窯−」二〇〇五朝日町歴史博物館

「伊勢の陶器萬古焼〜沼波弄山から桑名萬古へ」二〇〇五桑名市博物館

「伊勢の茶陶萬古焼−古萬古・有節、そして四日市へ−」二〇〇五四日市市立博物館

「特別展覧会京焼−みやこの意匠と技−」二〇〇六京都国立博物館

 

赤川一博「北勢地方の茶陶文化 信行から弄山へ」四日市市立博物館研究紀要七号

田中伸一「資料紹介 萬古焼三点について」四日市市立博物館研究紀要十号

岡佳子「江戸時代の関西のやきもの」旬夏秀陶 関西編展図録所収 近つ飛鳥博物館二〇〇四

岡村奉一郎「モースコレクションのなかの萬古焼」四日市市立博物館研究紀要十二号

佐藤隆「京焼系技術の源流を探る−周辺地域の窯構造・窯道具を中心に−」関西陶磁史研究会二〇〇五

岡村奉一郎「明治陶磁器コレクションのなかの萬古焼」四日市市立博物館研究紀要十三号

岡村奉一郎「萬古焼の意匠について」四日市市立博物館研究紀要十三号

岡村奉一郎「色絵の系譜―萬古の生まれた時代」四日市市立博物館研究紀要十四号

衣斐唯子「萬古印の基礎的研究(古萬古・有節萬古について)」四日市市立博物館研究紀要十四号

岡村奉一郎「『萬古』の称と印銘について」三重県史研究第二十三号

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