top of page
japanese pottery BANKO
since EDO genbun 1736
mark of BANKO
萬古の印は、仁清などのやり方と同じく、高台にもっていって印を捺している。印を捺すことは楽焼以外では仁清が初めてとされ、その系統が京焼に受け継がれて行っているということがいえる。萬古印についてはどの研究書もその印について作品の区分を明確にはできないといっている。しかし、今後作品の形状、色絵の具合、箱書等とともに拾って行けば有る程度の区分けは可能で有ると思われる。以下にこれまでの資料にどのような説明がなされているかをあげてみる。
「陶器考」には萬古印について横書丸枠隷書体一種、枠無し縦書一種、方形枠の萬古不易印が一種掲載されている。「本朝陶器攷證」には有節の書翰を掲載した後に萬古印が横書隷書体一種、縦書で枠有りが三種、枠無し二種、方形枠萬古不易印が一種と乾山を模した書銘一種が掲載されている。「観古図説」には萬古または○に萬古の印を用いたとあり、「日本陶器目録」には丸い形の印は江戸萬古に含まれると考えられてきたが、そうともいえないこと、陶器の研究から一番古い形式のものには小判形の枠がない印を帯びていること、「萬古不易」の印は蜷川氏が古萬古であるといっているが、再興萬古の森有節の弟千秋の作品に不易萬古として捺されたといっている。それ以外にも根拠は不明で有るが安達周平は四角い輪郭の中に萬古という印を捺している、古いものは中に捺さずに縁に捺す、大型の隷書萬古⇒小さい枠なし萬古⇒小判型輪郭あり萬古へと変化した(いずれも彩壺会講演会:大河内正敏著)等がある。
MARK
e.t.c














